プロフィール

プロフィール詳細

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1982年 神戸市須磨区で生まれる

1982年神戸市須磨区生まれ。
沖ヨガをしていた母と製糖会社に勤めるサラリーマンの父の間に長男として出生。
小学校3年生の夏休みに父親の転勤で神奈川県秦野市へ引っ越し、以降青年時代を神奈川で過ごす。
中学校1年生の時、自宅の神奈川県秦野市から茨城県の霞ケ浦まで自転車で釣りにいくという大冒険がきっかけで、高校1年生の夏休みは神奈川~兵庫県淡路島まで10日間自転車で野宿をしながら旅をする。

2001年専修大学文学部人文学科環境地理学専攻に入学。
「人間と自然の共生」について深く興味を持ち、日本各地にフィールドワークに赴く。
大学1年生の夏休みに自転車北海道周遊。
大学2年生の冬休みに自転車九州縦断、沖縄本島→八重山諸島全島制覇→与那国島。

幼い時から過敏・虚弱気味の体質でありながら、好奇心と行動力の赴くままに大自然を求めて自転車の旅を続ける。

22歳 北アメリカ大陸縦断自転車旅行に挑戦

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大学4年次を1年間休学して夢の「北米大陸自転車縦断旅行」へ出発する。
それまで海外旅行はおろか、飛行機にも1度も乗ったことがない22歳。英会話は「ハロー!」の中学生レベルで事前にアメリカ大使館で特別な長期観光滞在ビザを取得して、念願のアラスカの地に舞い降りた。

真っ青な空と白い雲のアラスカの夏、夜がない白夜のなか、どこまでも続くアラスカンハイウェイを自転車にテント、寝袋、フライパンに大量の水や米や調味料、釣り竿など15kgの荷物を載せてひた走る。
毎日キャンプし、釣りをし、初めて64㎝のサーモンを釣った喜びと美味しさは一生忘れられない。

半径200kmに民家や店が一切ないアラスカの針葉樹林帯で、危険な子連れの巨大グリズリー(灰色熊)と遭遇、道路幅に接近して心臓が止まりそうになり、カナダのキャンプ場ではブラックベアーに追いかけられた。

数十年に1度という大規模な山火事の幻想的な煙の風景を進み、カナダの絶景アイスフィールドパークウェィを走り抜け、たくさんの動物と遭遇し、それ以上にたくさんの人たちとの出会いの連続の日々

声をかけられた現地の人の家に泊めてもらい、路上ですれ違う世界中のサイクリストと交流し、後に人生の友となるイギリス人スコットと出会い、共に過ごしたヘインズの港町の思い出。
モンタナ州では爆風でヒッチハイクを敢行。イエローストーンで背中の持病が再燃し、旅の中断帰国を検討するも、そこから不思議なことに毎日誰かと出会い、助けられ、グレイハウンド(バス)での移動も使いながら、なんとかカリフォルニア州の美しいビーチに無事に到達する。

こうしてアラスカ州アンカレッジをスタートして、旅のGOAL地点、メキシコ国境の街・サンディエゴに至る5か月間の自転車1人旅、そのグレートジャーニーの感動を撮りためた1000枚以上の写真から厳選した50枚の画像ギャラリーをぜひご覧ください!

原因不明の背中の痛みで就職を断念

帰国後、就職活動を経てとある企業に内定するが長年悩まされてきた背中の痛みが深刻になり、入社式3日前に内定を辞退。当時神戸で単身赴任していた父の社宅で療養生活に入る。
ここから人生の長いトンネルに入る。)

線維筋痛症からの克服

原因不明の耐え難い背中の痛み、こわばり、疼きは少なくとも中学生の時から始まった。
アメリカ帰国後から症状は深刻化し、なんとか治したい一心で数え切れないくらいの病院に通い、(整形外科、神経内科、リウマチ内科、精神科、etc・・・)これまでにかかった全国の病院・治療院は30か所以上


どこの病院であらゆる検査をしても「異常なし」と医者に見放され、藁をもすがる想いでドクターショッピングを繰り返す日々・・。処方されるあらゆる鎮痛薬は何も効かず、痛みとこわばりはだんだんと酷くなり、握力は徐々に低下し、日常生活すらままならず、眠れない日々が続き、やがて深刻な不眠症となった

昼夜逆転した引きこもり状態の生活、先の見えない強い不安と絶望感のなか「なぜ自分が?」と自問を繰り返す苦しい日々が約3年間続いた。

そうして10年以上、医療をさまよい続けた挙句、最終的に行き着いた診断名は「線維筋痛症」

線維筋痛症は身体の広範な部位に疼痛をきたす原因不明の慢性疾患として現在は医療界でも周知されてきているが、当時は理解する医者も情報も少なかった。診断を受けたことで当時注目されていた新薬の治験に参加するも、自分には効果がなかった。

こうして発症から10年以上、症状の原因と治すことを求め続けた西洋医学に見切りをつけ、鍼灸、整体・カイロプラクティック、その他さまざまな代替医療やボディワークを経験し、勉強していくうちに、身体と心が繋がっていることを実感し始め、だんだんと興味は内面のマインド(心)や精神世界に向くようになる
この時期にたくさんの精神世界や自己啓発の本を読み漁った。


ある日にDVDで観た「ザ・シークレット~引き寄せの法則~」の内容に衝撃を受け、すべての現実は自分が引き寄せていること、すべての苦しみは自分が作り出していることを知る。
この気づき以降、病気の原因や治す方法を外に探し回るのではなく、意識の方向は内側に向かい、すべての原因は自分の内側にあり、苦しみから脱する方法が自分の内側にあることを学んだ。

そうして病気を「治す」ことに全力を注ぐのではなく、「治る」ことを信じてそれまで独学で行っていたヨガを本格的に学び始めて、ヨガスタジオに通い、エネルギーの方向が徐々に自分の生きるべく未来へ向かっていった。

2011年の南インドシヴァナンダアシュラムでのヨガ修行の旅では、今まで生きてきた身体の症状がすべてフラッシュバックし、現地の病院に1泊入院するという強烈な体験に見舞われながらも、そこから人生が好転していった。

ヨガを通してリラックスする方法学び、自分が無意識に作り出していた身体と心の緊張に気づいていく段階で、痛みとこわばりが徐々に緩和されていった。
そしてインドで学んだヨガのヴェーダンタ哲学を通して、自分の存在はこの肉体ではなく、精神でもなく、もっと深いレベルのスピリチュアルな存在であることを学び、身体の束縛、人生の苦しみから徐々に解放されていった。
(インド滞在中の詳細は後述。)

線維筋痛症をはじめ、慢性的な痛みの原因は、痛みの場所にあるのではなく、
脳が痛がっていて、無意識的にそれを反芻している。

だから本当に変えるべきは身体ではなく、脳(意識)だった。


潰瘍性大腸炎からの克服

線維筋痛症に至る原因不明の痛みに長年悩まされ続けた苦しみに比べれば、発症からすぐに「潰瘍性大腸炎」(国の指定する特定疾患=難病)と診断されたことは、自分にとって“難”しい“病”ではなく、実に“シンプル”な身体からの“メッセージ”だった。

なぜなら、この病気の原因が「ストレス(性格)」と「食事」にあるのは明白だった。

この頃勤めていたアルバイトの突然の解雇、そして神戸から岡山への引っ越し(父の転勤)という大きな環境の変化の中で、数週間にわたって腹痛と血便の下痢が続き、大病院での診察時には体重は5kg落ちて、38.3℃の発熱、フラフラの状態で歩くのもやっとという状態で緊急に内視鏡検査を受けた。

検査後、医師から潰瘍性大腸炎(全大腸型)という診断を受け、

「この病気は治らない病気です」

「薬をずっと飲み続けるように」

とビニール袋2つに山ほどの飲み薬を両手に抱えて帰宅した。

これまでの経験から、すでに病院や西洋医学そのものに強い不信感をもっていた僕は、より自然な治療法を求めて広島と大阪にある漢方クリニックの名医を訪れ、漢方によって症状をコントロールできるようになった。

そしてこの時期、毎日食べるものをメモし、何を食べると調子が悪くなるのか、何を食べると調子が良くなるかを調べて記録していった。

当時、岡山に移住したタイミングでの発症後、どんな栄養食品やサプリメントより、地元の新鮮な野菜や果物を食べることて調子がよくなることを実感していた。


そんなある日、古本屋で見つけた書籍「フィットフォーライフ」の内容に衝撃を受け、ナチュラルハイジーンの食事法を実践。
(後にインドでローフードと出会う伏線となる)

ナチュラルハイジーン(ローフード)の食事法を継続することで、みるみるお腹の調子は良くなり、それまで腹痛で食べられなかったお肉や揚げ物も食べられるようになった。

潰瘍性大腸炎という難病で食事制限に苦しむ日々のなか、生命あふれる野菜や果物の美味しさとお腹が喜ぶナチュラムハイジーンの食事法を追求し、後にインドでベジタリアン食とマインドを見つめ直していくうちに、大腸の炎症は自然と治まり、それまで食べられなかった焼肉も揚げ物も美味しく食べられるようになった。

病気で食事制限していたことに比べれば、何でも食べられることは最大の喜びであり、自分で食べるものを選べることは幸せなことなのです。

「一生治らない」と宣告された西洋医学の世界から自分の力で外に飛び出し、これまでの考え方や食生活をヨガとローフードで見直すことで、それまでより健康になった。

治る/治らないの二元論を越え、食べ物の善悪をつけず、自が自分らしく生きていくきっかけとなったのはこの病気のおかげなのです。

ある医師は言った。

“難病という忌々しいプレゼントを勇気を出して紐解くと、そこには自分が自分らしく生きていくための素晴らしいヒントがたくさん詰まっているのです”

2024年の春、5年ぶりの大腸内視鏡検査で医師は驚いていた。

「とても良好で一般の人と変わらないレベル」

「薬を飲まないでこの状態なら定期検査も必要なし」

発症から16年、潰瘍性大腸炎の完全な克服を宣言する。

19歳から独学でヨガを始める

10代の頃から背中の痛みや筋肉のこわばりに悩んでいた青春時代、いつも通っていた整体やカイロプラクティックに行かなくとも、自分で楽にする方法はないかと「自力整体」を始めるようになりさらに、ヨガがその源流にあることを知り、19歳の時に初めてヨガマットとヨガの本を買って部屋で独学でヨガを始める。

子どもの時から海に潜ることが自分にとって何より身体を元気にしてくれる一番の健康法であり、ヨガを始めてから海底でシャバーサナができるようになり、海の中から空を見上げ、太陽に向かって吐く息(泡)を眺める呼吸法とビジュアリゼーションをするようになる。

ある日YouTubeで見た美しいBGMとともに自然の中でヨガをする映像にインスピレーションを得て、涙が流れ、ビーチヨガを一人で始める。

28歳の時に岡山で初めてヨガスタジオのクラスに通い始め、そしてヨガの本場、インドへヨガを学びに行くことを決意する。

ヨガをずっと継続できたのは、約10年間ほど家で一人で続けていたことで、人と比べずに済んだこと。そして身体が硬く、最初の頃はとてもポーズどころではない状態から始めたことでヨガによる心身の変化が大きかったことがある。

他人と自分を比べるのではなく、過去の自分と現在の自分を比べ、いつの間にかヨガを通して自分と向き合い、身体の変化を感じる練習が自然とできるようになっていた。

ヨガの聖地・南インドシヴァナンダアシュラムへ

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2011年1月、南インド・ケララ州、シヴァナンダアシュラムへ。
日本語通訳付きのTTC(ティーチャートレーニングコース=講師養成講座)に参加した1カ月間とインド国内を旅した合計50日間の滞在は、帰国後、現実が180度ひっくり返るほどの強烈な体験となり、人生の転換の旅となる。

世界中から300人近くのヨギーが集まり、毎日朝から晩までヨガ漬けの毎日。

マントラを唱え、呼吸法を行い、ヘッドスタンド(頭立ちのポーズ)から始まる1日2クラス(計4時間)のアサナクラスで長年自分のテーマだったリラックスすることを学び、1日2回のベジタリアンの食事で身体が浄化され、メインとなる哲学の講義でヴェーダンタの思想やマインド(心)、スピリチュアル(魂)に関するレクチャーを受けることで今まで信じ込んできた価値観が一変した。

就寝時間にヘッドライトを点けて宿題に没頭し、ボールペン2本のインクを30日間で使い切ることは人生でもうないだろう。
そして皆が寝静まった深夜に、1人瞑想ホールで瞑想しながら眠れぬ夜を過ごしていた。

しかし、多人数と集団生活の自分にとって過酷な日々はいよいよ限界を迎えることに。
極度のストレス状態に陥り、自律神経系が壊れ、街の病院に運ばれて入院することになりました。

当時の通訳・紀子さんはじめ、同期の日本人の仲間やアシュラムのスタッフ、地元病院の医師や看護師など沢山の人に助けられることになりました。

アシュラムに戻ってから特別に1人テント生活を許可され、皆と遅れをとりながらも、なんとか最後まで滞在でき、無事にTTCを修了することができました。

その後、アシュラムを出てから2週間ほど電車に乗って小さな放浪の旅へ。

インドの人と同じ視線で、ゆっくりゆっくりと流れる荒涼とした車窓の風景を見ていると、それはどこまでも非現実的で、夢みたいな感覚が旅の最後まで続いていく。

自分の意思を越えた大いなる存在、神様?パワー?グレートサムシング?みたいなものが、僕の人生を、この旅を動かしている気がしてなりませんでした。

だから僕は今、インドにいて、必要な経験をしているのだ、と。

多産と多死、浄化と不浄、光と闇、創造と破壊……あらゆるものが混沌としたカオスの中で両極が存在する場所、インド。

もう2度と行きたくないけど、また絶対行きたい国、インド。

最高の楽しさも最悪の苦しみも味わったインドシヴァナンダヨガの旅から、振り返ればもう13年。

今もその真ん中にあるとアシュラムで学んだ「本当の幸せ」を目指して、僕はヨガという人生の旅を歩んでいます。

かずみと結婚→ ニューヨーク&バハマ ヨガの旅

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2012年、インドから帰国後、自分にとって初めて受けたヨガのレッスンのインストラクターとして出会ったかずみと運命的に結婚ニューヨーク&バハマへヨガ新婚旅行へ。
ニューヨークでは自分の流派であるシヴァナンダヨガセンターやかずみのアヌサラヨガの各スタジオを回る。
バハマではSivananda Ashram Yoga Retreat Bahamasでエメラルドグリーンが広がる美しいカリブ海を目の前にヨガバケーションを堪能。

悠然(ゆうぜん)の子育ち

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2015年8月1日、悠然(ゆうぜん)誕生

「自然にかえる子育て」の著書である真弓定夫
医師の提唱する「子育ち」の考え方に感銘を受け、できるだけ薬や医療に頼らず、自然な育児を心がけてすくすく成長。
赤ちゃんの時からヨガイベントやビーチヨガに連れて行って皆さんに可愛がってもらいました。

ヨガインストラクターとして活動開始

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2011年インドから帰国後、湯郷DOTYOGAでヨガインストラクターとしてデビューし、その後岡山市内を中心にフィットネスクラブやヨガスタジオの他、企業での福利厚生としてのヨガや介護予防ヨガなど多方面で指導を始める。

岡山大学での非常勤講師や職業訓練学校での授業なども担当し、週末には「ビーチヨガ」や「果樹園Deヨガ」「カフェ」など屋外でのクラスも積極的に開催するほか、インドから講師を招いてのシヴァナンダヨガジャパツアーのオーガナイズを務めるなど様々なイベントを主宰する。

ヨガの指導歴は13年。延べ5万人にヨガのレッスンを行ってきた。

ローフードマイスターとして活動開始

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潰瘍性大腸炎をナチュラル・ハイジーンの食事法から克服した経験とインドでベジタリアンの食事からローフードと出会った経緯を元に、岡山市で初となるローフードマイスター認定校の資格を取得

ナチュラルハイジーンに関する各種セミナーやローフード講座、ロースイーツ講座などを主宰し、自然の摂理の適った健康的な食事法を発信している。

経歴一覧と保有資格

1982年神戸市生まれ
2006年専修大学文学部人文学科環境地理学専攻卒業
2011年インド政府公認シヴァナンダヨガ正式指導者養成コース(TTC)修了
2012年インド中央政府科学技術省公認ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団YICヨーガ教師過程修了
2013年 JLBA認定ローフードマイスター1級/岡山中央校代表
2014年インド中央政府科学技術省公認ヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団YTICヨーガ療法士過程修了
2014年IYCシニアヨガ養成講座修了
2015年おかやまビーチスポーツ協会ビーチヨガ部門代表
2015年岡山大学非常勤講師
(2015,2016,2018)
2023年社)日本アーシング協会アーシングマスター修了
2023年シヴァナンダヨガマスターコース: Essentials of Yoga Health & Self Healing(セルフヒーリングコース)修了

≪実績≫
・岡山大学非常勤講師(2016、2017年)
・岡山岡南ロータリークラブ講演(2015年)
・公益財団法人倉敷スポーツ公園得とく講座(2013年~)
・社会福祉法人倉敷市総合福祉事業団介護予防事業リラックスヨーガ教室(2013年~)
・プラステラス岡山ヨガ体験プログラム(2018年、2019年)
・Kula Yoga Shala シヴァナンダヨガ・リラクゼーションフロー(2012年~)
・ジョイフィット奥田/高屋 ヨガオリジナル(2013年~)
・コザックスヨガスタジオ リラクゼーションフロー(2013年~)
・その他毎年「果樹園Deヨガ」「お寺Deヨガ」「ビーチヨガ」「ヨガトリートin湯郷」「
ローフードマイスター講座」などイベント多数開催

≪これまでレッスンを行ってきた施設≫
・JOYFIT奥田&高屋
・エイブル
・コート岡山南
・コザックス
・Kula Yoga Shala
・マスカットスタジアム
・鶯梅院
・法慶寺
・妙福寺
・倉敷健康福祉プラザ
・倉敷北高齢者福祉センター(旧西岡荘)
・老人憩の家各地
・渋川海岸
など

≪ローフード関連講座≫

【ローフード】
・ナチュラルハイジーンセミナー
・ローフードマイスター2級、準1級講座
・キッチンヒーラー講座
・ロースイーツ講座
など

≪自主開催イベント&ワークショップ≫
・果樹園Deヨガ(2012年〜2019年)
・お寺Deヨーガ(2012〜2018)
・ビーチヨガ@渋川海岸(2012~)
・1dayヨガリトリートin湯郷(2012〜)
・太陽礼拝108回@鶯梅院
・カフェDeヨガ@デンマークカフェ
・カフェDeヨガ@サニーサイドテラス
・ヨガとロースイーツの会
・シヴァナンダヨガJAPANツアー@岡山
・アイヴァン先生来日ワークショップ
・クリスタルボウル×ヨガ(マガリ)
・東洋医学ワークショップ鈴木康玄先生
・アーユルヴェーダワークショップ時信先生
・腸活ワークショップwith masashi
・はじめてのヨガ座学入門
・アーシングセミナー

≪メディア出演≫
・RSK山陽放送「日本財団 海と日本プロジェクト~ビーチヨガin岡山」(2016,2019)
・RSK50周年記念イベントイオン岡山店
・OHK開局50周年大感謝祭イベント(2019)
・雑誌「オセラ」2023年9-10月号(ビーチヨガ)

現在の活動と今後の展望

【レッスン会場(2024年8月)】

・JOYFIT奥田&高屋
・マスカットスタジアム
・倉敷健康福祉プラザ
・鶯梅院
・渋川海岸(ビーチヨガ)
・倉敷北高齢者福祉センター(旧西岡荘)
・庄憩の家
・玉島東憩の家
・黒崎憩の家
・豊洲中央憩の家
・万寿東憩いの家

【最新情報と今後の展望】

2024年8月、岡山市南区の小高い丘の上に、長年探し求めていた念願の、古屋が建った広い土地と出会い、契約に至りました。
今後時間をかけてリノベーションし、住居兼『ヨガと暮らしの教室』として2025年春ごろにOPENの予定です。